京都 五山の送り火-準備編 [京都プレ五山の送り火]
明日八月十六日は、祇園祭りとともに京都の夏の一大イベント
大文字の送り火。
ご先祖様の霊を彼岸へ送る行事。
今日は、八月十五日、「左大文字」の町内では、
明日の送り火に向けて、かがり火の用意がされていました。
このような篝火が町内の各戸の前に建てられていました
明日は「法音寺」で
「左大文字」に点ける火を起こし大松明にその火を移して
山の上まで駆け上がり「大」の字に点火します。まるでオリンピック聖火のようですね
火は蓮の花をかたどった鉄製の台の上で起こされます
大松明の通り道にこんなランタンが屋根よりも高く掲げられていました
行事の無事を祈るものなのでしょう
明日は午後八時十五分に向けて、護摩が焚かれ送り火の行事が行われます。
点火時刻は、「大文字」を筆頭に時刻を少しづつずらせて点火されてゆきます。
五山の送り火は、「大文字」「左大文字」「妙」「法」「鳥居」です
昔はもっとたくさんの種類があったそうですが現在はこの五つだけが残り、
五山の送り火と呼ばれています。
曰く、
五山の送り火とは
東山如意ヶ岳(大文字山)の「大文字送り火」、松ヶ崎西山(万灯籠山)、
松ヶ崎東山(大黒天山)の「松ヶ崎妙法送り火」、西賀茂明見山(船山)の「船形万燈籠送り火」、
大北山の「左大文字送り火」、嵯峨水尾山(曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」の五山を総称したもので、
各々の町内で保存会があり、それぞれ独自の行事が行われています。
現在のような形になったのは、近世初頭といわれていて、如意ヶ岳の「大文字送り火」は
十七世紀中頃の絵図に描かれていて、十八世紀中後期の絵図には、五山全ての“送り火”が
描かれています。
かつては市原野の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観音寺村の「長刀」なども
“送り火”として点火されていましたが、明治の頃までに絶えてしまいました。
全部が残っていたなら「十山の送り火」になっていたことでしょう。
また“送り火”の日には「あらめ」をお供えし、茹で汁を門口に撒いて「お精霊さん」を、お送りする
「追い出しあらめ」の習わしなどの先祖供養に加え、厄除けとして、送り火を酒杯に映し出して飲むと
無病息災でいられるとか、“送り火”の燃え炭を奉書紙でくるみ、水引でしばり厄除けとして玄関先に吊す
などの風習があります。
私が子供のころ祖母達に教えられたのは、お盆に水を張って「大文字」の火影を映して
それを飲み干して一年の無病息災を祈るというものでした。
通称「お盆」は、「盂蘭盆会」の略で八月七日から十六日までの間
先祖の霊を家にお迎えして供養する行事が行われます。
八月七日から十日までは、ご先祖の霊(おしょらいさん=お精霊さん)を
家にお迎えする「精霊迎え」。各家庭では、細く切ったオガラの木を
焙烙(ほうろく=素焼きのお皿)に重ねて火を燃やして先祖の霊が帰ってくる目印にします。
十二日から十五日まで、ご先祖の霊は家に留まられ、その間、仏壇には
精進食を備えたり施餓鬼供養やら盂蘭盆会のお経を唱えたりして先祖の霊を祀ります。
キュウリやナスなどに串をさして馬や牛などを形取って仏壇に供えたりもします。
ご先祖の霊が馬にのって速く帰ってきて、帰りは牛に乗ってゆっくりと、などと意味を持たせているとか。
そして十六日の送り火に乗せて霊は冥土に帰ってゆかれるのです。
お盆の行事もこれで終わりです
現在では、迎え火やお供えごとなどをする人も少なくなり、
お寺さん(菩提寺の住職)に仏壇にお参りして頂き、お墓参りをすることなどにとどまって来つつ
あるようです。
盂蘭盆会の語源は梵語の「ウランバナullanbana」訳すると「逆さ吊り」と言う意味だとか。
なにか恐ろしげな言葉ですが仏教辞典によれば、「死者が死後に逆さに吊るされるような苦しみを
受けているのを救うために祭儀を設けて三宝に供養すること」とあります。
お釈迦様の弟子の目連尊者が無くなった母親が餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされているのを知って
お釈迦様にお願いしてその導きで多くの衆僧を招いて供養の大布施を捧げた甲斐あって
母親は餓鬼道から逃れて極楽往生できたというのが「お盆・施餓鬼」の始まりといわれています。
親族の霊を想い、その冥福を祈る人々の心が作り上げてきた行事なのですね
大文字の送り火。
ご先祖様の霊を彼岸へ送る行事。
今日は、八月十五日、「左大文字」の町内では、
明日の送り火に向けて、かがり火の用意がされていました。
このような篝火が町内の各戸の前に建てられていました
明日は「法音寺」で
「左大文字」に点ける火を起こし大松明にその火を移して
山の上まで駆け上がり「大」の字に点火します。まるでオリンピック聖火のようですね
火は蓮の花をかたどった鉄製の台の上で起こされます
大松明の通り道にこんなランタンが屋根よりも高く掲げられていました
行事の無事を祈るものなのでしょう
明日は午後八時十五分に向けて、護摩が焚かれ送り火の行事が行われます。
点火時刻は、「大文字」を筆頭に時刻を少しづつずらせて点火されてゆきます。
五山の送り火は、「大文字」「左大文字」「妙」「法」「鳥居」です
昔はもっとたくさんの種類があったそうですが現在はこの五つだけが残り、
五山の送り火と呼ばれています。
曰く、
五山の送り火とは
東山如意ヶ岳(大文字山)の「大文字送り火」、松ヶ崎西山(万灯籠山)、
松ヶ崎東山(大黒天山)の「松ヶ崎妙法送り火」、西賀茂明見山(船山)の「船形万燈籠送り火」、
大北山の「左大文字送り火」、嵯峨水尾山(曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」の五山を総称したもので、
各々の町内で保存会があり、それぞれ独自の行事が行われています。
現在のような形になったのは、近世初頭といわれていて、如意ヶ岳の「大文字送り火」は
十七世紀中頃の絵図に描かれていて、十八世紀中後期の絵図には、五山全ての“送り火”が
描かれています。
かつては市原野の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観音寺村の「長刀」なども
“送り火”として点火されていましたが、明治の頃までに絶えてしまいました。
全部が残っていたなら「十山の送り火」になっていたことでしょう。
また“送り火”の日には「あらめ」をお供えし、茹で汁を門口に撒いて「お精霊さん」を、お送りする
「追い出しあらめ」の習わしなどの先祖供養に加え、厄除けとして、送り火を酒杯に映し出して飲むと
無病息災でいられるとか、“送り火”の燃え炭を奉書紙でくるみ、水引でしばり厄除けとして玄関先に吊す
などの風習があります。
私が子供のころ祖母達に教えられたのは、お盆に水を張って「大文字」の火影を映して
それを飲み干して一年の無病息災を祈るというものでした。
通称「お盆」は、「盂蘭盆会」の略で八月七日から十六日までの間
先祖の霊を家にお迎えして供養する行事が行われます。
八月七日から十日までは、ご先祖の霊(おしょらいさん=お精霊さん)を
家にお迎えする「精霊迎え」。各家庭では、細く切ったオガラの木を
焙烙(ほうろく=素焼きのお皿)に重ねて火を燃やして先祖の霊が帰ってくる目印にします。
十二日から十五日まで、ご先祖の霊は家に留まられ、その間、仏壇には
精進食を備えたり施餓鬼供養やら盂蘭盆会のお経を唱えたりして先祖の霊を祀ります。
キュウリやナスなどに串をさして馬や牛などを形取って仏壇に供えたりもします。
ご先祖の霊が馬にのって速く帰ってきて、帰りは牛に乗ってゆっくりと、などと意味を持たせているとか。
そして十六日の送り火に乗せて霊は冥土に帰ってゆかれるのです。
お盆の行事もこれで終わりです
現在では、迎え火やお供えごとなどをする人も少なくなり、
お寺さん(菩提寺の住職)に仏壇にお参りして頂き、お墓参りをすることなどにとどまって来つつ
あるようです。
盂蘭盆会の語源は梵語の「ウランバナullanbana」訳すると「逆さ吊り」と言う意味だとか。
なにか恐ろしげな言葉ですが仏教辞典によれば、「死者が死後に逆さに吊るされるような苦しみを
受けているのを救うために祭儀を設けて三宝に供養すること」とあります。
お釈迦様の弟子の目連尊者が無くなった母親が餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされているのを知って
お釈迦様にお願いしてその導きで多くの衆僧を招いて供養の大布施を捧げた甲斐あって
母親は餓鬼道から逃れて極楽往生できたというのが「お盆・施餓鬼」の始まりといわれています。
親族の霊を想い、その冥福を祈る人々の心が作り上げてきた行事なのですね
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